グローバル化、グローバル企業、グローバルな思考、
そしてグローバルな人材。
現在の教育ではこのグローバルというキーワードを取り入れ、その人材育成が目指されています。
ではグローバル人材とは何なのか。
単に世界共通語の英語を話すことができるだけの人材ではないことは周知の事実です。
じゃあどんな人材。
これはエリートとは何なのかということと関連すると思いますが、「議論ができる人」ではないかと感じます。
まず、議論をするためには、その議題の知識を広く知る必要があります。
自分の主張、立場を明確にする必要があります。
人の話を聞き、その人や言い分の分析をし、対案や提案を論理的に示す必要があります。
以上を素早く処理できる頭の回転の速さが必要です。
そして、うまく段取りし、優先事項を決め、行動をしなければなりません。
グローバルな人材とはこういったことができる人を育成することではないかと感じています。
ビジネスする人だけに関わったことではなく、広くこうした能力を少しでも意識することは重要だと感じています。
しかし、実際こうした人材育成の考え方なんて教育では机上の空論のような気がしないでもない。
話は飛びますが、教員はよく「世界が狭い」と言われます。
果たしてそうなのか。
教員が対応する保護者はそれこそ様々な人であり、そういう意味では多くの人脈を持っていると言えます。
なぜ、「世界が狭い」といった言説が出てきたのか疑問に思う。
しかし、確かに根拠はないが、教員が「世界が狭い」と言われるだけの視野の狭さであったり、言動が目立つのは実感としてあることも事実。
教員の卵である教育学部を見ると少し見えてくるのかも知れない。
なぜか違和感というか、キラキラした感じがある。
みんな「いい子」であり、「まじめ」であり、申し分ないような「優等生」が多い。
そこに問題を見いだす僕はひねくれ過ぎなのだろうか…